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東京地方裁判所 昭和33年(合わ)133号 判決 1958年8月08日

被告人 内田訓行

主文

被告人を懲役三年に処する。

但し、この裁判が確定した日から四年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

一、経歴

被告人は、東京都新宿区市ヶ谷富久町で父内田貞吉と母同とよとの間に三男(末子)として生まれ、生来病弱の身であつた事情などもあつてとりわけ母とよのちよう愛を受けながら、長じて小学校、中学校に進学し、その間戦災に遭つて一家と共に肩書住居に転住したが、昭和二十一年三月には母とよと死別し、ついで同年四月には父貞吉をも失い、しかも当時長兄は、既に戦死し、また、同じく応召していた次兄繁男もなお未だ帰還していなかつたため、その後は跡に残つた長姉貞子及び次姉キミらの女手に養われ、やがて昭和二十二年六月次兄繁男が復員帰還した後も、同都中央区築地界隈の待合に帳場係として勤めていた長姉貞子の仕送りを受けて次姉キミらと生活をともにし、その間、早稲田大学付属高等工学校に進学して、昭和二十六年三月同校土木科を卒業し、間もなく同都新宿区歌舞伎町所在の東京製氷株式会社に入社したが、昭和二十八年十月頃退職して、翌昭和二十九年三月頃から同都千代田区有楽町一丁目一番地にある日活国際会館内の日活株式会社不動産部管理課機関係に勤務し、同会館地下四階の機関室を職場として仕事に励んでいた。

二、本件犯行に至るまでの経過

その間、被告人は、当時たまたま右日活株式会社不動産部管理課エレベーター係として勤務していた長沢弘子(昭和八年十一月二十四日生)と顔を合わせているうち、いつしか同女に好意を抱くようになつて、その後、昭和三十年四月弘子が前記日活国際会館五階の同会社総務部庶務課庶務係(受付)に転じた後も、折をみては同女と言葉を交すなどして、次第に思慕の念をつのらせていつたが、わけても、昭和三十二年五月十二日弘子を観劇にさそつての帰途銀座界隈の喫茶店でふたり語り合つたころから、いよいよ同女に対する愛情の深まりいくを覚え、その後も折あるごとにしばしば食事や映画見物などをともにしながらうちとけた交際をかさねているうち、同年七月二十日頃ようやく機会を得て初めて弘子に意中を打ち明け、求婚の意向を伝えたが、これに対して同女が即答を避け、その後も被告人に対し愛情ある素振りを示しながらも、なお自己の家庭内の事情などを理由にして、なかなか右申込に応じようとはしなかつたため、弘子の意中を忖度した被告人は、その頃、単身同都板橋区志村四丁目三十番地なる同女の自宅にその父長沢安太郎を訪れ、事情を打ち明けて同人の意向をたしかめた結果、安太郎より「本人次第だから」との返答を得たので、その後、間もなく右事情を弘子にも伝えてその決意を促したところ、同女においても「一生懸命やります、有難うございます」と答えて快よく被告人の申入れを受けいれるに至つた。そこで、被告人は、同年十月二十日頃改めて次兄繁男を介し右安太郎のもとに正式に結婚の申入れをして、同人の承諾を得、その後は弘子との間に婚約者としての清純な交際を続けていたが、更に、同年十一月二十四日には弘子の満二十四年の誕生祝いをも兼ねて同女を被告人の自宅に招き、家人一同より祝福を受けた席上において被告人自ら弘子に婚約指輪を贈り、また、その頃挙式を翌昭和三十三年三月二日を期して明治神宮記念館で行うことに取りきめ、かくて、被告人は、ついに遂げ得た初恋の歓びとやがて来るべき結婚への期待に心もあかるく、あれこれの準備にいそしんでいた。

ところが、他方、長沢弘子は、かねてより、異性との交際関係多く、当時前記日活株式会社総務部文書課文書係に勤務していた野崎潤(昭和四年八月十二日生)なる男性ともかなり親しい間柄となつていたが、前記のように、被告人と婚約を結ぶようになつてからも依然野崎のことが忘れられずひそかに同人に思いを寄せているうち、昭和三十二年十二月頃から急激に同人と接近の度を増し、同月十九日には野崎と同伴で都内各所を飲みあるいた末、夜半過ぎまで同人と行を共にしたり、また、同月二十四日のクリスマス前夜には、おりから風邪のため臥床中であつた被告人のもとを見舞おうともせず、野崎にさそわれるままに夜半十二時頃まで喫茶店などを遊びあるいていたようなこともあつて、次第に同人に引かれ傾いて行く気持を抑えることもできず、ただ内心、被告人との婚約と野崎に対する愛情との間に板挾みとなつてひとりひそかに思いまどつているに過ぎなかつた。

かくするうちに、被告人においても弘子の自己に対する冷淡な仕打ちに気付いてようやく不審の念を抱くようにはなつたものの、情事に経験の疎いうぶな身としてとうてい同女の意中を推し測るすべもなく、そのまま、不安のうちに翌昭和三十三年一月八日、吉日をトして先方よりの申出に従い、結納金として現金一万円を同女に手渡し、これによつて僅にわが意を慰めていたところ、意外にも同月十五日頃ついに被告人を捨てて他の意中の恋人野崎のもとに奔るべく決意をかためた弘子より突如婚約破棄の申出をうけるに及び、ここに初めて同女の変心を知るに至つた被告人は失恋の悲哀に懊悩煩悶のあげく、同月十七日朝勤務先より帰宅した後、自宅階下八畳間でひそかに睡眠剤「ブロバリン」を多量に服用したうえ、右居室に据え付けのガス栓を開放して自殺を企てたが、昏睡中を家人に発見されて危うく一命を取り止め、入院中、はからずも先に被告人より贈られた婚約指輪を篏めて見舞いに来た弘子から「しつかりしてください」とやさしく励まされるに及び、ようやく将来に対する一縷の望を取り戻した被告人は、退院後再び見舞いのため、被告人方に来訪した弘子に対し改めてその飜意方を促したところ、同女が、予期に反し、頑としてこれを受けつけないので、やむなくいつたん思い諦めることとして、同月二十一日同女の将来における縁談に支障を来すべきことを慮つて心ならずも前記結納金及び婚約指輪の返還方を申し入れ、翌二十二日弘子よりそれらのものの返納を受けて、ここに同女との婚約は、ついに解消されるに至つた。

その間、被告人は、同じく前記日活株式会社に勤務していた野崎某と称する男性が、弘子と親密な間柄にあることを他より聞き及んでいたが、右婚約解消後も時おり同社内で弘子と顔を合わせたり、また、同女から親しげな電話をかけられたりして、容易に同女を思い切ることもできず、嫉妬と未練の情にさいなまれつつ夜毎眠られぬままに睡眠剤「ブロバリン」や精神安定剤「ノクタン」などを連用して、ようやく一時を糊塗するのやむなき苦境に陥り心身ともに疲れ果てながらも、なお、心中ひそかに弘子との交情の復活にはかない望みをかけて日を過しているうち、同年三月二十五日、思いあぐんで、弘子を前記日活国際会館五階のロビーに呼び出し、二、三言葉を交したあげく、興奮した被告人は、やにわに同女に挑みかかり、粗暴な振舞いに及ぼうとして他人に制止されたが、その際、弘子の申出により同日午後六時に再会すべき旨を約しておいたにもかかわらず、同女がこれを無視して早退してしまつたので、これを知つた被告人は、同女の身を案じて帰途その自宅に立ち寄つてみたが、不在のため面接できないままに帰宅し、その後しばらくは弘子と顔を合わせる機会も得られずひとり悩み続けているうち、たまたま仲に立つ人もあつて、同月末頃にはようやく弘子を思い切る決意をすることができるようになつた。

ところが、他方、かかる被告人の心境の推移を思いやるすべもない弘子が同年四月三日夕刻頃前記日活国際会館地下四階の職場に居合わせた被告人のもとに電話を寄せ、「あなたのことを一番よくわかつているのは私です。いままでのことは本当に有難うございました。ではあなたも元気でいてください。いろいろ話したいこともあるが、これでさようなら」などと言い放つて被告人の問いかけるのに取りあおうともせず、そのまま通話を打ち切つてしまつたため、「いろいろ話したいことがある」との弘子の言葉に心惹かれた被告人は、またもや未練の情に駆られ、万一の僥倖を期待する気持もあつて、同夜かさねて同女の自宅に赴き、前記安太郎をも交えて一応、話し合つてはみたものの、既に弘子の決意は堅く、とうていこれを飜させることもできなかつたばかりか、被告人がせめてもの願いとして、自分も諦めるが、野崎とだけは手を切つて欲しいなどと頼み込んでみたが、弘子からは一言のもとにこれをはねつけられたうえに、同座の安太郎よりも暗にこの際同女を断念するよう言い含められる始末で、全く取りつくすべもなく、ひとり悄然として帰宅した被告人は、あれこれ思いの立ち乱れるままにほとんど一睡もしないでその夜を明してしまつた。

三、罪となるべき事実

かくて翌四日朝、うちかさなる苦悩にしよう衰した被告人は、朝食をとる気力もないままに、しいて平常どおり前記日活株式会社に出勤し、同会社地下四階の職場で勤務に就くかたわら、今後の身のふりかたなどについてひとり思案をかさねていたが、たまたま、同日昼食後、昼休みの午後零時三十分頃前記日活国際会館一階北側にある従業員用サービスエレベーター(荷物用エレベーターともいう)前廊下付近を通り合わせた際、おりから弘子がかねてより被告人とも懇意の間柄である友人遠藤きよ子とつれだつてエレベーターを待ち合わせている姿を認めたので、なにげなく同女ら両名を喫茶にさそつたところ、当時、たまたま右遠藤とともに他出すべく着替えのため同会館五階へ赴こうとしていた弘子は、ただ冷然と被告人を一瞥しただけで言下にその申出を一蹴したうえ、素知らぬ態度でしきりに前記エレベーターのボタンを押し続けていたあげく、折からその場に来合わせた同女らの友人長野久子をも交えてエレベーターに乗り込み、呆然として立ちすくんでいる被告人を残して、そのまま同会館五階へ立ち去つてしまつた。そこで、これを見送つた被告人は、やむなく、ひとりその場を離れてなおも近辺を歩み続けているうち、弘子のあまりにもつめたく変り果てた素振りを思いおこすにつけ、万感胸に迫つて無念やるかたなく、せつかくそれまでこらえてきた同女の変心に対する憤怒の念と嫉妬の激情とが一時に発して制御しきれず、ついに逆上気味となつて、ただこのうえは弘子を亡きものにして、自己もまた、自害してその跡を追うのほかなきものと意を決し、直ちに身を飜して同会館地下四階に駈け降り、同所機関室に隣接する控室内の自己のロツカーから手製の匕首一本(昭和三十三年証第六一四号の一)を取り出し、これをズボンのポケツトに忍ばせて再び一階に駆け上つたが、付近に弘子らの姿が見当らなかつたので、さらに前記エレベーターで急ぎ五階まで昇り、同日午後零時四十分頃同所エレベーター前の踊場に立ち出でるや、おりからその際、前記遠藤及び長野の両名を左右に伴い、うち揃つて廊下をこちらに向つてあるいてくる弘子の姿を見かけたので、興奮のため脚を慄わせながらもようやくにしてこれに近づき、なおも最後に和解の機会を得ようとする未練の念から弘子らに対し、「三人でお茶でも飲みませんか」とかさねてさそいかけたので、これを見かねた前記遠藤きよ子が、事情を話して婉曲にその申出を辞退したにもかかわらず、弘子は、無言のまま、これに取りあわないばかりか、かえつて被告人から遠ざかりたいような素振りで自己の右側に肩を並べてあるいていた前記長野久子の背後をまわつて故意にその右方に身を避け、そのままふり向きもしないで行き過ぎてしまおうとしたため、このあてつけがましい弘子の仕打を人前で目のあたり見せつけられた被告人は、あまりのくやしさにいまはこれまでといよいよ殺意を固め、前記エレベーター前の踊場近くまで弘子を追いかけ、やにわにその右前側より左腕をその背部に廻して同女を抱え込みこれを右踊場北側の壁ぎわ付近まで引き寄せたうえ、ポケツトより取り出した前記匕首を右手に握りしめて、同女の右横合いから抱きかかえたまま、その左頸部及び胸腹部等を所かまわず数回突き刺し、同女の前頸部左側に皮膚刺入口の左右径約二・一糎、創洞は右内方に向い、左頸静脈を切截して止む深さ約五・七糎の刺創、その左前胸部に皮膚刺入口の左右径約二・二糎、創洞は後内方に向い、右心室ほゞ中央を刺通し右心室腔に達して止む深さ約六・五糎の刺創及び皮膚刺入口の左右径約二・〇糎、創洞は後内方に向い、肝臓左葉を穿刺して止む深さ約六・〇糎の刺創並びにその上腹部に皮膚刺入口の左右径約一・九糎、創洞は後内方に向い、肝臓左葉及び膵臓周囲軟部組織を刺通し、腹部大動脈を穿刺して止む深さ約八・〇糎の刺創等の傷害を与え、その結果、右弘子をして同日午後一時頃同区内幸町二丁目五番地日比谷病院において、前記頸静脈、心臓、肝臓及び腹部大動脈の損傷により惹起された失血及び空気栓塞のため、死亡するに至らしめ、もつて同女を殺害したものであつて、被告人は、右犯行当時心神耗弱の状態にあつたものである。

四、証拠の標目(略)

五、法律の適用

被告人の判示所為は刑法第百九十九条に該当するので、所定刑中有期懲役刑を選択すべきところ、被告人は本件犯行当時心神耗弱の状態にあつたものであるから、同法第三十九条第二項、第六十八条第三号により法定の減軽をした刑期範囲内で処断すべきである。

情状を検討すると、被告人が判示のように、白昼人目も憚らずして年若き婦人を刺殺するが如きは、その理由のいかんを問わず強く非難されなければならないことはもちろんであつて、被害者長沢弘子の遺族の心情もさこそと忍ばれるにつけ、つくづく被告人の罪責の軽視すべからざることが痛感されるのであつて、この点を強調して被告人にともかくもある程度の実刑を科することは、一見きわめて容易な措置とも言えるであろうが、本件事犯の特異性に鑑みるときは、これが果して適切妥当な科刑と断じ得るであろうか、当裁判所としては、結論としてこれに「否」と答えざるを得ない。即ち、考察するに、本件犯行に至るまでの経過は判示認定のとおりであつて、昭和二十一年春満十五歳のとき相次いで父母を喪い、その後は築地近辺にある待合の帳場係として勤めていた弟思いの長姉貞子の仕送りと家庭にあつて生活を共にしていた次姉キミの配慮とによつて早稲田大学付属高等工学校土木科を無事卒業し、その後、昭和二十九年三月頃から判示日活株式会社内に職場を得た被告人内田は、やがてふとした機縁から勤先を同じくする意中の恋人長沢弘子を得てこれと正式に婚約を結び、姉貞子及びキミら家族ともその初恋成就の喜びを分ちあいかつ、友人知己らの祝福を受けつつ将来の希望に胸を躍らせ、やがて来るべき挙式の吉日を指折りかぞえて待ち焦れていたさなかにあつて、突如はからずも弘子より婚約解消の申出でをうけるに及び、わが身にはかかる事態を招来すべきいささかの非違も落度もない筈なのにかかわらず、元来純情でうぶな被告人は、いわば奔放多情で異性に対する技巧にたけた弘子の真意の奈辺にあるやを窺い知ることもできず、ただ兢きようとして同女の飜意方を哀訴歎願するほか、他になすすべもなく、しかもやがては弘子がかねがね同じ会社に勤めている野崎某なる青年に心を寄せていたことがその変心の原因であることを知るに及んで、失恋の悲哀と嫉妬の痛苦とに、ひとしお激しく被告人の心をさいなみ続け、その間弘子の言動に一喜一憂しつつ徒らに右往左往し、全く奔命に疲れ果てたあげく、ついには睡眠薬や安静剤の力を借りなくては一日も安眠できないような極度にも近い激しい神経衰弱症状に陥りながらも欠勤して休養をとるだけの心のゆとりもなく、しいて勤務を続けていたあげく、ついに判示の如くふとした出来事のためにも疲労困憊した神経が刺激され、感情激発してはからずも本件所行に及んだものであつて、事ここに至るまでの間既にひとたびは失恋の痛苦をわが胸ひとつに抱き、愛する弘子の幸福をその遺書のうちに祈りつつ、ひとりひそかに自己の命脈を断ち切ろうとまでした事志とたがい、再びこの世に生き永らえたため、旧に倍した苦悩と屈辱とをなめなければならなかつた被告人が、今又再度、自決に失敗し、しかも嘗ては甘んじて自己のみが犠牲になろうとしたほど至上の愛情を傾け尽してやまなかつた愛人弘子を今やむごたらしくも白日下衆目に曝されながら殺害し去つた廉により囹圄のうちにその断罪を待ちつつある被告人の姿には人をして暗然たらしめる深刻な苦悩の跡が現われている。(因に、領置してある前掲博文館当用日記及び日記帳各一冊中の記載によれば、本件被害者長沢弘子においても、また、自己と被告人及び判示野崎潤との間のいわゆる三角関係を清算するため心中ひそかに煩悶焦慮した跡が窺えることは、まことに検察官指摘のとおりであるが、かかるいわば「選ぶ者」の持つ苦痛は、被告人の如く「選ばれて捨てられる者」のなめる苦悩に対し、その深刻さにおいてとうてい比しうべくもないことはもち論である)。今や被告人は、日毎囚房のうちにあつて深く悔悟し、ひたすら被害者の冥福を祈念しているものと認められ、その家族も、また、被告人に代り被害者の遺族に対して誠意を披れきし、些かなりとも慰藉の途を講じ、かつ、将来、被告人とともども機会あるごとにこれを続けようと誓つている。事情かくの如きをつぶさに検討し、あわせて被告人の経歴、性格、年令、家庭の状況、更には、また、被害者長沢弘子の性格、素行及び被告人に対するその言動等諸般の情状を勘案斟酌すれば、この際被告人を遇するにたやすく実刑を以てするよりもむしろ相当期間刑の執行を猶予することにより心ならずも再度の自決を阻まれた被告人をして今一度明るい誠実なこの世の道を歩ましめ、生命の尊厳とその貴重さとを身を以て体験せしめることにより、この生命を損い、又は損おうとした自己の愚劣さを心底より会得懺悔させる機縁を与えることこそ真に刑政の本義に合致した措置であるといえるし、また、かくすることがかえつて被害者長沢弘子の冥慮を慰め、ひいてはその遺族の心情をも末永く和げる最良の方途といわなければならない。(因に、近来における人命軽視の憂うべき風潮については、厳にこれを戒むべき必要があることは、これ、また、もとより検察官所論のとおりであるが、さればといつて、かかる配慮に急なるのあまり、個個の案件における審理の結果明らかにされた具体的、個別的な経緯、情状を看過し、又は不当にこれを過少評価し、誰彼れの差別なく一律に一罰百戒の厳罰主義をもつて事に臨むようなことにならないよう裁判所として特に慎重を期さなければならないことは、今さら言うまでもないところである)。

よつて、当裁判所は、本件につき被告人を懲役三年に処し、刑法第二十五条第一項第一号に則り、この裁判が確定した日から四年間右刑の執行を猶予すべく、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文により全部被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 樋口勝 飯守重任 西村法)

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